身内でいたいヲタゴコロ。
前エントリ( 潤くん♡? 潤サマ? マツジュン?呼び方について考えてみた。 - 松本潤担ブログ @ニューヨーク830番地 ) で呼び方についてどーでもいいようなうだうだを書きましたが、今日もその延長線上にあることを書こうと思います。くっだらないんですけど。笑
「マツジュン」と呼ぶことに違和感を覚えるのは、要するに勝手に親近感を募らせてしまっている故、と結論付いたわけですが、それどころか勝手に身内的錯覚を起こしてるファンって私以外にも結構多いと思うんですがいかがでしょう。潤くんや嵐さんの活動に対して、あれやこれや、ついつい「あんたは親戚のおばちゃんか?」みたいな目線で語ってしまう、という。
例えば、先日のハワイライブとピカンチ・ハーフ発表で思ったことが、嵐さんが自分たちがやりたいことをやれてよかったねぇ、というなんだか微妙に上から目線なものだったんですが、これ以外にもなんか距離感がオカシイな、ってたまに自嘲するんです。
まぁ、私のブログをお読みの方々はとっくにそれに気付いて笑ってるかとは思いますが。
嵐がブレイクして、グループとしても個人としても力をつけて。
仕事に対しての発言権なんかも強くなってるんじゃないかと推察します。
そういうのを、これまでの努力が報われた成果だね、よかったねぇ、と喜んだり、誇らしく思ったり、演技が上達しただのダンスの軸がブレなくなっただのと褒めまくったり。
あんた誰?笑、ってセルフ突っ込み入れまくりの状態になることのなんと多いことでしょう。でもよくよく考えてみると、私は遅れてきたファンなので、親戚のおばちゃんを名乗るのも実はおこがましいのではないか?としばし逡巡。
Jr.時代から応援してきた方々が母親モードになることを許される層とすると、デビュー後7年も経ってからファンを自覚した私はいくらファン歴8年目になろうとも、親戚モードになるには相応しく無いのではないか?(真面目かw)
ま、ただね、親戚って言ってもいろんな度合いの親しさがあるからね。付き合いの密な親戚もあれば、疎遠で興味もそんなにない、って場合もありますよね。
私が結婚した時、夫側の甥っ子はちょうど小学校に上がった頃でした。以来、節目節目で貢いできたし、成長過程で褒めたり、たしなめたり、心配したり、助言したり、怒ったり、喜んだり、誇らしく思ったり。
後から嫁いできた(若い)おばちゃんが!
元々は他人。血もつながってないし、さらには異人種、異国人なのに。
ってなわけで。
まさに同じような目線で潤くんと嵐さんを愛でてるという風に捉えましょう!ここは是非。笑
とかね、どうしても自分を身内にしたくなるこのヲタ心。親近感と愛着が少しでも自分をインナーサークルに置きたがるんでしょうねぇ。
愛情かけて貢ぐけど、心配もするし、意見も持つし、他から褒められたら嬉しく思うし、上から目線で語らずにはいられないんです。
なので今後も後から嫁いできた親戚のおばちゃんモードで応援させてください♡