松本潤担ブログ @ニューヨーク830番地

遠くても。同じ空の下、繋がってるよ、とあなたが言ってくれるから。

六角さんと嵐が絡む時代が…

いまさらながら先週放送された「嵐にしやがれ」を見まして。

本編にはさしてコメントはないんですが、予告でおよっ!と。

私が渡米した後、いつの間にやら六角精児さんが有名になっていてねぇ…びっくりしたわ。

六角さんといえば、善人会議。

下北沢のスズナリを本拠地に、本多劇場、新宿紀伊国屋劇場と小劇団ブームのサクセスステップを快進していた劇団の初代メンバーです。

まぁ、当時一般での知名度でいったら夢の遊民社とかキャラメルボックスにはぐーんと負けるけどね。

私が初めて善人会議のお芝居を見たのが高1の時で、それから渡米するまでずっと善人会議(及び改め扉座)の舞台には初日、中日、千秋楽、とできる限り通い続けたコアなファンでした。(といっても私は有馬自由さんが一番好きだったんだけど。)

ま、六角さんは早々に長老扱いになっちゃって、たまにステージに登場するだけで拍手がおこっちゃうくらいになってだんだんと定期公演にも出なくなってたんですが、それでも劇団の外ではまだまだ無名でした。

あの頃、だんだんと小劇団の役者さんがテレビのちょい役に回るようになって。劇団の枠をこえたプロデュース公演なんかも増えていたから、そのつてで、たとえば劇団ラッパ屋の座付き作家(鈴木聡さん)がドラマの脚本を書くと言えば、そこにお目当ての役者が出るかもしれない!なんて注目してみたり。

確か扉座に劇団名を改めた頃、座付き作家で劇団主宰の横内謙介さんが予定年表のようなものを劇団通信に載せていて、そのひとつに

「すごいアイドルと仕事をする!」

みたいなのがありました。

そしてその予言(?)の通り、その年以降、まだブレーク前のSMAPのメンバーと仕事をしたり、定期公演に筒井道隆くんが客演したり、って感じになっていったんです。

よくよく話を聞けば、善人の「ジプシー」をジャニーズの方々で演じたそうですし、「フォーティーンブラス」もジャニーズ仕様に変えて上演されたりしましたね。(当時はまだジャニーズJr.だったV6のイノッチを舎弟にした、V6がブレークしたらその時は鼻高々だろうなぁ、みたいなことをむかーし言っていた気がする…。)

さて、六角さんといえば「ちょっとおちゃめなかに座のA型」なので、基本、穏やかできめ細やかな神経の持ち主。なので嵐のメンバーとは結構気があうかもしれません。

それにしても当時から嫁に逃げられた〜的なアドリブはたくさんありましたが、いつの間にか×3にまで!!!

もう、いい加減、お酒とギャンブルやめないと。

てか、六角さんが嵐に教えられることって、酒とギャンブルとギターくらいですよねぇ?

あんまり変なこと教えないでイタダキたい!

何の番宣だかしりませんが、ま、とにかく楽しみです♪