松本潤担ブログ @ニューヨーク830番地

遠くても。同じ空の下、繋がってるよ、とあなたが言ってくれるから。

「99年の愛」その3

「おためごかし」って…スガ子よ!

そんな言葉を知っていて実際にあのタイミングで使えちゃうアメリカ生まれ&育ちの2世ってすごくな〜い?

ま、そんなことに突っ込んでみましたが。

私が日本で学生だった頃の歴史の授業では、第2次世界大戦について、同盟云々以降は日本が受けた被害に重きを置かれていて、アメリカにいた日系人がどのような扱いを受けたまでに及ぶことはありませんでした。

なので、日本人の強制収容についてはアメリカに来てから初めて知りました。こちらでは大学レベルで歴史に触れていれば割と頻繁に出てくる話題かと思いますが、高校レベルではどうなんでしょう?

でも9.11以降、パールハーバー後の日系人と9.11後のアラブ系人が比較されることが多くなったし、割と一般にも広く知られている事実ではあるでしょう。

大統領が公式に謝罪もしたしね。

私のリサーチによりますと、戦時下でずーっと閉じ込められていたユダヤ人の強制収容とは異なり、強制収容所に戦時下ずーっといた人も入れば、すぐに出た人も居るのです。

早い人では、強制収容所に入れられたその翌月には、衣食住が確保できればアメリカの西海岸以外の土地なら収容所を出ることも可能だったそうな。

ただ大抵は元居た土地に戻りたいとの思いから、西海岸が再度開かれるまで収容所に留まったり、季節労働で収容所を出たり入ったり、或いは収容所から出てからの差別が怖いから収容所が閉鎖になるまで居続けることを好んで選んだ人々もいたようです。

そして大学生をアメリカ各地の大学に「親善大使」のような役割を担わせて派遣する慈善団体も発足されました。

日系2世の、主に女子が大学に行き、現地の差別と戦いながら草の根レベルでの日本人イメージアップキャンペーンに努めていたのです。

彼女らは、差別をうけても言い返したりせず、じっと耐え、学業では平均でBの成績を保ち、放課後はハウスメイドなどとして働いていたそうです。

個人個人なら、あまり差別を受けずにいられたから、なかなかいい“作戦”だったようです。

そういえば、アメリカで日系人は他の民族のように群れません。本格的な日本人村みたいのって多分西海岸にちょっとしかないんじゃないかな?

ニューヨークですら、日系のお店は点在しているだけで、集落にはなっていません。

なので2世、3世は意識的に群れないようになっていったのかもしれませんね。

群れると目立ちますからね。

日本人意外と結婚する確率もとにかく高く、3世になるとほとんどが非日系人と結婚しているとの統計がありました。他の人種(中華系や韓国系、インド系など)は割と同民族内で相手を見つけるので混ざりにくいです。)

多分4話で語られるであろう(まだ見てません)日系人部隊も然り、日系人に対する好ましいとされるイメージは日系2世達の涙ぐましい努力から成っているのだということをリサーチからしみじみ感じました。

…って、「99年の愛」の感想になってないって?

今更ながら大野さんお誕生日おめでとう。

ちょうどその日に「最後の約束」の特典映像を見てました。

ぴったり1年前のあの日言ったように、悔いのない20代を過ごせたのでしょうか…。