松本潤担ブログ @ニューヨーク830番地

遠くても。同じ空の下、繋がってるよ、とあなたが言ってくれるから。

発信し続けること(1)

私がブログを非公開にしたきっかけはツイッター発端でした。

昨年末にツイッターを始めて、感じたその瞬間に発信する楽しさを経験し、それによってある程度「伝えたい」という思いが満たされていました。

ただツイッターというツールはたった140文字での発信なので、かねてから長文でつらつらと書き綴るのが好きな自分にはどうにも言葉足らずだな、と感じることもしばしば。

そして環境としても、ブログは「私はここで書いています、よかったら見に来てね」という観覧者の自由意志なのに対して、ツイッターは好むと好まざるとその瞬間に呟きを見せられる。

もちろんそれが嫌ならフォローを外すということもできますが、いつも全部の呟きがうざったい訳ではないし、一度フォローした人を外すのは申し訳ないと思って嫌々ツイートを受け取っている場合もあるのかなぁ…と。

私はわりと小心者なので、今までフォロワーだった人がある日フォロー解除すると、何が気に障ったんだろう?と考えこんでしまうのです。それはあまりに精神衛生上よろしくない(笑)。

それに呟きは流れていってしまうのです。後で読み返すことも可能ではありますが、なかなか難しいのが実情。

ともいうのも、ある事が引き金で私のツイッターアカウントは鍵っ子(非公開)にならざるを得ませんでした。

今まで松本潤くんのファンブログや公開ツイッターアカウントって少ないな、潤くんのファンはそういうのをやる人が少ないのかな、と思っていたのですが、某掲示板にはタレントさん本人のみならずそのファンまでもを敵対視し、さらにはその言動の自分たちにとって都合のいい部分のみ切り取って蔑みあげつらう、いわゆる晒し行為が横行しているのを知りました。

なので多くの潤担さんはアカウントに鍵をかけて、不必要に不快な思いをすることから身を守っているのだと気づいたのです。(もちろんそれだけではないしょうが。)

ブログで残っていればその全体文からどういう経緯でその発言に至ったのかが分かりやすいけれど、ツイッターでは継続的に発言を読み続けてもらわないとないと真意を届けることが難しい。

読み手が初めから悪意を抱いている場合はなおさら。

切り取られた呟きが掲示板で面白おかしく取り上げられても、私はその場に乗り込んでいって反論する気はさらさらないけれど、そういう輩の話のネタになるのも癪なのでアカウントを非公開にしました。

(まぁ、ここでこんな事書いてるとまた攻撃されるかも知れませんけどね…。)

鍵っ子になると、ツイログも残せないし、検索にも引っかかりません。なので新しいフォロワーさんに呟きをきっかけに発見してもらうこともなくなります。出会いが閉ざされるんですね。とても寂しいことです。

そしてツイッターとリンクさせていたブログにも被害が及ぶのを憂慮し一時的な避難処置として非公開にしました。

その時点では、このブログを開始してから丸3年分もの大事な思いを如何なる形でも侵されたくない、と考えたから。

そして今回のことは、今まで考えていたブログの形式や存続意義についてよく考えるいいきっかけになりました。

ごめんなさい。まだ続きます。→ 発信し続けること(2)-----