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松本潤担ブログ @ニューヨーク830番地

遠くても。同じ空の下、繋がってるよ、とあなたが言ってくれるから。

アメリカ人と観た「陽だまりの彼女」その3

ながらく更新のインターバルが開いてしまう緩さですが、書く書く詐欺にならないように続きをば...。

今回は「陽だまりの彼女」がいかに日本人のコミニュケーションの様子を外国人に見せるのに適しているのかということについてです。

ちなみに前回の記事は、http://juntaninny.hatenablog.com/entry/hidamari-in-usa-2です。

日本語というのは、ざっくりと三分割すると、通常の口語、丁寧語、敬語に分けられます。通常の口語というのは比較的親しい間柄でかわされる会話での日本語で、タメ口というのもここに収まります。日本語の授業で用いられるのは丁寧語(です、ます)で、ここを押さえておけばかなりの高確率で大概の場面で恥をかくことなく会話をすることができるという観点から大学生向けの講座であっても基本はここです。

だがしかし。

日常の会話って、ですますを超越することの方が多かったりしますよね。特に若い世代では。しかもクラスの中で数名は日本のアニメやドラマを英語字幕で観ていたりして、そこで聞き取っている表現と授業での言い回し(特に語尾)がマッチせずに戸惑ったりします。

なので、時々、砕けた表現も紹介してみたりするのですが、これ、実際に使われる場面を把握しないと危険極まりないワケで。目上の人に向かって「じゃあねー」なんてやられたら、ローラちゃんは許されても、一般人レベルだと不穏な空気が流れる可能性もあるわけですよ。

「陽だまりの彼女」が現代日本社会を表す教材として秀逸なところといえば、会社、学校、家庭、恋人間と、いろいろなシチュエーションで口頭におけるコミュニケーションを観察できてしまうこと。しかも会社のシーン一つとっても、同僚と先輩と取引先とでは使われる言葉もボディランゲージも、距離感によって違いがはっきりと出ているということを、敏い人ならすぐに気がつくことが出来るという点で素晴らしいと思います。

会社の先輩と就業後に飲みに行くとかって、個人レベルで友人になれば別ですが、日本のような「職場の人とのお付き合い」はアメリカだとほぼありませんので、そこも異文化的コミュニケーションのいい例です。しかも、頻繁に誘う先輩をなんとか角が立たないように断り続ける浩介、という図がね、もうなんとも日本的なんですよね。

更に。

これは浩介の奥手なキャラゆえという部分もあるけれど、日本人の感情表現はとにかく婉曲なんですね。

江ノ島のシーンで、

「あと何回来られるかな、一緒に」

という真緒に、「年一回来たとしても、後50回以上は来れるかなぁ」

と浩介が言うシーン。

これって言うなればプロポーズじゃないですか。

これの日本的だなぁって所は、「好き」とも「愛してる」とも「結婚」とも言わずに永遠の愛を誓っちゃってること。

これを解説した時、ほぉぉぉ、というような(じっさいにはWoooooo)声が上がったほど。

だってこれ、鈍感な人には通じないですからね!笑

鈍感男子の浩介にしては相当な上手技ですよね。笑

真緒が察せる人でほんっと良かったよ…。笑

こういった「行間を読んで察する」というのがとても日本的で、このシーンひとつで日本のコミュニケーション文化をがっつり把握できると思うんですね。もちろん、ここだけではなく、他にも推して察する場面がたくさんあるんですが。(というか、基本真緒の秘密を巡ってずーっと推察しつつ観ている感もありますけどね。)

他にも、誰かが失敗をした時に「笑って場を和ませる」と言うのはとても日本的だと思いますし、「すぐに謝罪の言葉を口にしすぎる」というのもそうだと思います。「笑ってごまかす」もかな。

アメリカだと、自信がない時でも自信があるフリをしますし、他人が何か失敗をした時に、その失敗した人のために笑ってその場の空気を和ませる必要性すら感じないという感覚があります。(もちろんアメリカ人は謝罪しないというイメージはありますが、必要ならば謝ることもあります。)

そういった、日本に住んでいたら日本的とは気付かない普通のことが、外から見た時にとても日本的に映るんですね。そしてそういう日本の繊細な文化習慣の良さを、もっとたくさんの人に分かってもらえたら嬉しいなぁ、と思うんです。

控えめで消極的に見えるかもしれないけど、相手を思いやる心があるし芯はしっかりしてるよ、って感じ。私推しのJaponismは、こういう部分。

(嵐さんの掲げるJaponismにも異論はありませんが!)