松本潤担ブログ @ニューヨーク830番地

遠くても。同じ空の下、繋がってるよ、とあなたが言ってくれるから。

追悼・蜷川幸雄さん

松本潤担を掲げるブログではありますが、松本潤担になるずっと前はどっぷり舞台演劇ファンとして数々の舞台を観てきた私として、何か書き残しておきたいと思います。

私が自分のお金で自発的にチケットを買ってお芝居を見出したのは高校生の時。中学時代は主に区が主催する演劇センターの公演を無料で観ていました。高校在学中は主に下北沢系小劇団ばかりを観ていましたが、高校卒業後はいわゆる商業演劇にも手が出せるようになっていました。

基本的に、どの舞台を観に行くかは、題目か、役者(または劇団か)が基本であって、その次が上演小屋だった私は、通とは程遠いただの芝居鑑賞ファンでした。なので、演出家が誰だから、という視点では選択しておらず、ああ、そういえば誰々の演出だったなぁ、程度なのが実のところです。*1

舞台が生きるも死ぬも演出家如何、というのは真理であるけれど、そこまで意識されることがないというのが通例でしょう。いわゆる裏方の大ボスですから。*2

私が最初に蜷川演出を意識したのは、銀座セゾン劇場のハムレットだったと思います。OL時代。それまでも、舞台を見に行くたびに分厚いチラシの中にニナガワの文字を幾度となく見ていたので名前は知っていたし、その頃すでに灰皿飛ばしエピソードも巷で認知されていたと思います。

そもそも私は中学生の頃から区が主催する演劇センターのシェイクスピア劇を季節ごとに観ていました。もちろん区の文化振興事業の予算で組める公演ですから、装置などにできることは限られていたでしょう。いわゆる、普通の、古典的なシェイクスピアだったと思います。

その後も新大久保のグローブ座にかかるシェイクスピアもいくつか観ていましたが、なにしろイギリスのグローブ座を模して建てられた場所でしたから、割りと古典に忠実に演出された舞台が多かったように思う*3ので、荘厳で大胆な蜷川演出の舞台は感覚的に新鮮でした。

それで「蜷川演出だから」を理由に観に行くようになったかというと、そこは否。結局、舞台だったら手当たり次第観ていたので、そうはなりませんでした。なのでもしかしたら、意識せずに観た舞台が蜷川演出だったというのもあり得るかもしれません。

ちゃんと覚えている限りでは、ハムレットの他に武田真治さん時代の「身毒丸」、マクベスリチャード三世ロミオとジュリエット、そして松本潤主演の「あゝ、荒野」。昨年はリンカーンセンターで「海辺のカフカ」を観ることができました。

蜷川さんがテレビで活躍するタレントを起用することで、興行的にそれ目当ての普段劇場に芝居を観に行かない層にも劇場に足を運んでもらえるようになったのはいいことだと思います。確かにそのおかげでチケットを取るのが大変だったということはありましたけど、例えば舞台に足を運んだことのない職場の同僚を誘う時に、テレビで有名な誰々さんが出てる、というと、大抵じゃあ一緒に行きましょうということになっていましたから。それくらい、舞台演劇というのは一般に敷居の高いものだったのだと思います。

ただ、有名タレントをチケット捌く目的で起用しても、その人物を舞台演劇ファンが納得するレベルに引き上げてから板に乗せることができる演出家はそんなにたくさんいなかったのではないかと思います。私はケチンボなので、自分がお金を払った舞台はどんなに駄作でも最後まで観るをモットーにしていますが、有名タレントを起用した舞台で思わず席を立ちかけた舞台は数々ありました。実際に去ったのは一度きりですが。ケチなので。

アイドルタレントを積極的に起用したことで演劇ファンにはチケットが取れないことに文句を言われたとしても、それによって舞台のクオリティが下がることは蜷川演出作品においてはなかったのではないかと思います。蜷川さんは、アイドルを職業にし大衆の欲望と羨望の的である彼らに、演じるということの厳しさと、それを乗り越えた先にある歓びを教えました。アイドルが演技仕事をする際に、「所詮は見てくれ人気で実力を伴わない」という偏見から正しくその技量を評価されないことに、一番憤りを露わにしてくれた演劇人だったと思います。

小栗旬くんが弔辞で、「蜷川劇団の一員」という表現をしていました。蜷川演出の洗礼を受けた役者だからこそ共有できるものを持った俳優たちを指してのこと。その劇団の一員に、私の敬愛する松本潤くんが選ばれ、堂々と名を連ねていることをファンとして誇らしく思います。彼もまた、その華やかな外見から正しい評価をされずに先入観のみで語られることが多く、ファンとしては歯がゆい思いをすることもありますが、蜷川さんに認められていることがとても嬉しく、また心強かったりします。ただ、蜷川さんには過去二作品で鍛えられたけれど、松本潤という役者はその生真面目さから演技面では常にもがいてもっと上を目指している人だと感じていて、だからこそもう一度、一緒に舞台をやって欲しかったです。

演出家が誰かを意識して演劇を観に行く人の方が稀ですが、舞台を一度も観たことがなくても、その演出家に演劇の魂を授け育てた俳優がテレビや映画で活躍することで、演劇という文化が栄え繋がっていくという点でも、演出家・蜷川幸雄の存在は偉大なものだと思います。演出という大きいくくりでは、潤くんのライブ演出は少なからず蜷川作品の影響を受けてきたと思います。みんなが知らず知らずのうちに、蜷川幸雄の魂に触れているという感じですね。

そして蜷川さん亡き今、次若い才能を育て、世界に目を向けてくれる人が出てきて欲しいと思います。リンカーンセンターに来てくれる日本の演劇人たち。中村勘三郎さんが去り、蜷川幸雄さんも逝ってしまって。今年は宝塚が来てくれるけれど、来年は?宮本亜門さん?野田秀樹さん?多分、蜷川劇団の誰かが、将来的にそうなっていくのではないか、と希望的観測を込めて思ってみたり。

藤原竜也くん。小栗旬くん。

気長に、待ってみましょうか。

きっと爺も喜ぶと思います。

演劇人・蜷川幸雄氏のご冥福をお祈りします。

*1:それでも数を観ていると、演出家ごとの違いというか、クセというか、傾向というか。そういったものにも気づけるようにはなりましたが。

*2:そういう意味では「あ、演出がこの人だから絶対観なきゃ!」となったのは私の場合ハロルド・プリンスのみかもしれません。

*3:中には花組芝居のように歌舞伎テイストを効かせたものもありましたが。