松本潤担ブログ @ニューヨーク830番地

遠くても。同じ空の下、繋がってるよ、とあなたが言ってくれるから。

ひとりスマイルフェス絶賛実施中ヽ(^。^)ノ

スマイルの救いはあの最終回の後味の良さですね。

どんなにテーマが重くて苦しくても、もう一回観たいって思わされちゃう。

やっぱり社会派の時事問題を取り扱うってとっても大変なことで、脚本家の宅間さんは現実問題をハッピーエンドによってうやむやにさせたくなかったのかもしれませんね。

あのままビトが死刑執行されていたら…あのラストシーンにはビトの遺影が置かれて、花ちゃんがビトの遺志を引き継いで強く生きていく、みたいな結末だったんでしょうか。

改めてじっくりと観なおして思うのは、この作品は、リアルタイムで金曜の夜に流し見するような作品ではないということ。

どんよりとくら~い気分で週末を迎えたくはないですからねぇ…。

当時の雑誌の潤くんのコメントによると、視聴者に先入観を持たれないように事前の取材では内容にあまり触れないようにしていたようですが、「ヒューマンラブストーリー」(初回スポットだけに言われていました)などと宣伝するのではなく、初めから骨太で重厚なストーリーだということを前面に押していれば、あそこまで酷評されることもなかったのかもな、と今更ながら残念に思います。

当時のブログエントリでは演技についての感想を取り立てては書いていませんでした。理由は、多分、演技どうこう言いたい気分じゃなかったんでしょうね。

脚本については、テレビ向きだったのか?なんて勝手なことを言ってました。(それは今でもちょっと思ってるけど)

ですが、通して見るにはいい!毎回のエピソードの中に明確なトリガー(キッカケ)とヒープ(イベント)が仕掛けてあって、通して一気に見ても全然飽きないし、どんどん先を観たくなるくらい、よく練られていると感じます。

例えばイベントの一つ一つがちゃんと意味を持っていて、後々に繋がって行ってるとか。

イベントの一つ一つは、えー、ありえない!みたいなものも確かにあるんだけど、ドラマとしてはそれが面白い要素になってる。

林がタクシーの運転手を暴行するイベントは裁判のシーンの証言に繋がるし、それを出すにはまず林をタクシーに乗せないといけない。一人で乗せるのではなく花と乗せる。その為には花とビトが待ち合わせをする必要があり…と、遡って観ていくと、ささいなイベントにも無駄なものが極少ないってことが分かるんですね。

ベタではあるかもしれないけど、花ちゃんがあのランドセルの女の子だった、というのは花ちゃんがどうしてあそこまでビトにゾッコンで、初めから積極的にアプローチできたのかの強力な裏打ちになります。

ただ本屋で助けて貰ったからだけと思ってたらそうじゃなかった、みたいな種明かしがね、すごいなぁ〜、練られてるなぁ〜って感じるわけです。

ここまで練ったものを書き上げたのに、最後の最後で脚本を引き揚げる決断を余儀なくされた宅間さんの気持ちを想うと苦いものがあります。

差別問題、社会の力関係での強弱、お役所仕事の問題点、新規導入された裁判員制度などなど、人が無意識に見ないようにしている社会の汚い部分を取り込み過ぎて、連続ドラマでやるには結果的に混沌として受け入れられ難いものになってしまったのかな。

ただでさえ、キラキラしてかっこいい松本潤と笑顔がかわいいガッキーのラブロマンスを期待していた層には期待はずれと思われたかもしれません。

でも。

リピート第2ラウンド終了して感慨深く想いを巡らせるのは、ビトと花の純愛の描かれ方の秀逸さ。

二人の恋模様だけにフォーカスしてみると、きゅんきゅんするし、ほんわかするし、切ないし、もう要するに萌えしかないです。(簡単な言葉に逃げてみた。)

役者発の部分もあるのでしょうが、演出のきめ細やかさが好きです。

ドラマって細切れに撮影されるので、必ずしも時系列順に演技してるわけではないのに、きちんとビトの花への想いがリアクションに反応されているのは、演出家の方との打ち合わせがしっかりと為されていたからかなぁ、と。

全編通して、「手の触れ合い」の使い方がほんとに素晴らしい。感涙。その時々で、避けたり、繋いだり。

ビトから手を伸ばしたのは多分林を殺害した後の一度だけ。縋るように。

ビトから花を抱き寄せたのもたった一度、富士山の見える展望台でだけ。自分の決意を挫けさせないように。

あー、もっと細かく書きたいことあるんだけど、今時間がありませーん!

なんか文章も見なおしてなくてめちゃくちゃなんだけど直す時間もない!

一人スマイルフェスってことで、次回エントリに続いてもいいでしょうか?(ダメって言われてもやるけど。爆)