しばしの休演だけど
今更ですが「あゝ、荒野」、埼玉公演が6日に終わって、
当日いきなりバラシて、
青山劇場での仕込みが今頃行われているんでしょうね。
裏方さん、お疲れ様です!
青山の初日は13日(日)のソワレなので、役者陣が劇場入りするのは木曜か金曜くらいでしょうか。
劇場のサイズが違うから、演出が変わったりするのかしらん。
場当たりなんかも時間をかけるのかな?
読まないように気をつけては来たけど、それでもやっぱり目に入ってくるのは概ね好評、
っていうか、大絶賛のコメントたち。
目の肥えた演劇批評家や記者に好評なのはなぜ?どこが?
それを知りたいというのが私の天邪鬼な気持ち。
もちろん潤くんがどんな風に新宿新次を演じるのかものごっつー楽しみだけど。
今日は戯曲と新次像について書いてみました。
ネタバレなので続きます。
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戯曲を読んで思ったことといえば、夕暮マリーさんという方は、どんな人なんだろう、ということ。
あのあっちゃこっちゃ場面が飛ぶ小説を巧い具合に戯曲化して、エピソードの順番も分かり易く並べ替えて、結果ものすごく消化しやすくなっているんですね。
ぶっちゃけ、難しい要素なんて何もない!
でも台詞の言葉はほぼ小説通りとか。
さすがにR指定入らないような配慮はなされているけど(笑)。
でも中学生の娘さんとかが潤くん目当てで入っちゃったら大丈夫かしら…?なんて
保護者モードで心配はするけどね。
私なら中学生には見せないな。
ひとつ引っかかった(悪い意味ではなく)のが、
少年刑務所から出てきたばかりの新次の口から名だたる哲学者(ヘーゲル、カント、ショーペンハウエル、ベルグソン)の名前が出てくるところ。
確かこの台詞は夕暮さんオリジナル(原作で出てきた記憶がないので)だけど、
その台詞ひとつで、新次がどんな人間なのか深く深く掘り下がって
ただの能天気なチンピラあがりとは一線を画した「思想を持つ」新次像が作り上げられている訳です。
自分を評して「こう見えて実は努力家」という台詞は原作にもあった気がするけど
なんとなく一見ハデでそんなに頭脳派には見えないけど(失礼!)、
実は勤勉で読書家な松本潤との共通点が見出されてなるほどなぁ〜、と。
新次は少年刑務所で体を鍛えると共に読書もたくさんしたんだろうなぁ…。
バリカンとの共同生活で色々と気を使う新次さん、とか、なんか潤くんっぽい。
村田英雄の歌に突っかかり心の底にある社会への不満を吐露する新次と、
いつも更に上を目指して決して「満足しない」と云われる松本潤ともが重なるのも面白いです。
蜷川さんの好きな「餓えた」若者って部分が一致した上での配役だったのかなぁ。
そんな部分から、この役はある意味松本潤の分身なのかとも思えるけど、
だからといって演じるのが簡単な訳じゃないし。
ってか、難しい役だよ、やっぱり。
立っているだけで男にも女にも焦がれられる程のオーラださないといけないんだよ。
普通出来ないって。ねぇ?
原作、戯曲、演出、プラス出演者、どれをとっても演劇を楽しませる要素を贅沢かつふんだんに取り込んだ今回の舞台「あゝ、荒野」。
面白くなかったらウソでしょう〜?!だけど、
そこはまぁ、実際の舞台を見せていただかないことには、ね。-----