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松本潤担ブログ @ニューヨーク830番地

遠くても。同じ空の下、繋がってるよ、とあなたが言ってくれるから。

「僕は妹に恋をする」見直し週間 その1

ぱりぱりぱり…。(心が乾燥中)

足りません。潤いが。潤くんをもっとクレーーーー。

仕方がないのでまた過去作品に浸ることでなんとか潤いを保つ努力をした訳です。

今回は「僕は妹に恋をする」にしました。

これ、それこそDVDになってすぐの頃に一度観たっきりだったし、潤くんの芝居を語る相手も周りに居ませんでしたので、僕妹についてブログに書くのも初めてです。

まず、声を大にして言いたいことは、この映画は出来るだけ大きな画面で、音声ボリュームも大きめにして、且つ、テレビのバックライト強めにして観なければ良さが伝わりにくいだろう、ということです。

ラップトップやiPadなんかで観てちゃダメダメよ〜!

私、初見では19インチのブラウン管テレビの画面で観ていたわけですが、10年選手のテレビは画面が暗くて、折角の表情が良くわからなかったんです。

表情が読めないと、なーんとものっぺりとした印象しか得られないので、いまひとつ面白みに欠くと思ってました。(全方面に申し訳ない〜!)

こういう余白の多い映画って、すこしの手掛かりから観る者が想像力をフル回転にさせて完成させるものだと思うので、やっぱりセリフのトーンも細かい動きも目線すら見逃してはダメなんですよね。

今回42インチのHD対応テレビでバックライトを強めにして観たら、もう潤くんの素晴らしい目と表情での演技がつぶさに観察できて感動が強まりました。

音声も大きめに、というのは、この映画の特徴としてほとんどのシーンがカット割りが少ない上に長回しで、且つ効果音やBGMなども最小限ということで、衣擦れの音や役者の息遣いまで聞こえてくるのを楽しむためです。

こういう映画は、できれば人の少ない映画館で大きなスクリーンとドルビーサラウンドでひっそりと観たかったな。

さて。

テーマがテーマだからか、それとも登場人物のキャラクター設定故か、全編通して潤くん演じる頼がお子ちゃまでぐらんぐらんのブレブレに揺れてて、なんだか面白いんですよね。

ついつい、おいおい、って頼にツッコミ入れたくなっちゃう位。(いえ、感動作には違いありませんけども!)

要するに精神的に子どもな頼は、なんとなくいつも不機嫌そうにいろいろともがきながらあっちこっちぶつかって周りを引っ掻き回す面倒くさいヤツなんだけど、同時に凄く人間的な魅力があるからみんなが頼を慕って少々の傍若無人(って言うのか?)ぶりも許されてしまう。

いつも他人に物事の決定を委ねて、不承不承それを受け入れることには慣れているし、実はそうなることが楽だったりもする。結果しかめっ面ばっかりだけど。

郁に選択を迫って置いて、自分の気持ちが揺らぐと、強く迫ってくる友華に流されてみたり。不機嫌な顔して。

心のなかでなんとなく郁との未来はないと分かっていたはずなのに、あの草原の成れの果てを直視して初めて現実が突き刺さったって。どんだけ長いデナイアルとバーゲニングのサイクルを彷徨っていたのか。

でもそんなにツッコミ入れたくなるほど、頼として存在していた潤くんはさすがだな〜と思います。

外見はカッコイイのに中身ダメダメな、ある意味カッコ悪い人物像をしっかり演じきれていたと思うんです。

潤くんのお芝居はやっぱり目と表情と、手の動きに注目。

目と表情はいちいち言わないでもいいと思うけど、手の動きはこれは特に注意して見て欲しい。

頼が郁を引き寄せる時とか、胸の内を告白している時の指の動きとか、髪の毛をくしゃっとしたりする一連の動作とか。

頼の緊張感とか、安堵した様子とか、郁への愛情とか、そんなものがぐぐーっと伝わってきます。

学校の廊下で郁の手を取ろうとして、人に見られそうになって放すんだけど、パッといきなり話すのではなく、心を残すようにそっと、っていうのとか。離し難いんだよね、うんうん、よしよし涙、ってなるの。

指の先まで感情表現のディテールが行き届いてるのが、私が潤くんのお芝居に惚れてしまう理由です。

ついでにどこまでが演出で、どれが潤くんの癖なのかっていうのは、これまでたくさんの潤くん出演作を観てきていると大体見当が付くので、にやにやしてしまいます。笑

手の動きで一番はっ!としたのが、夜の河原でのシーン。

郁がシロツメクサを「ちょうだい」って言った直後。

そのまま彼女の掌にシロツメクサの花をぽとんって落とすのかと思いきや!

まるで手品師がするようにわざわざ優雅に掌をくるりと反して、その美しい指先からそっと置いたんですよ!!

自分の掌の位置から郁の掌までだったら、一瞬手を斜めにするだけで済む話だし、元々のお互いの手の位置関係からしてそうするのが普通だと観ていて思うのにですよ!(それともそんな風に思うのは私だけ?)

こういうところに、頼の(はたまた潤くんの)ロマンチストな繊細さが現れていると思うんですよね。

つか、こんなシロツメクサの渡し方まで演技指導入んないよな〜、こういうことするのは潤くんだよな〜。

ほんっと、役を演じるとその人が出るっていうのはこういうことをいうんですよね。にやにや。

(そう言えば潤くん的には「キスは雄弁」だそうで、結構素が出るという認識なのかな。笑)

ついでに言うと、潤くんも雑誌のインタビューで長回しだと素が出ちゃってて恥ずかしい的なことを言ってましたが、私的には機嫌のいい頼は全て限りなく潤くんに近かったか素が出てたかな〜って気はします。

特に夜の自転車タンデムのシーンと、おんぶじゃんけんの初めの方。ビバ長回し!って感じ。笑

この映画は悲劇的な運命の下に生まれてきた恋人同士の話だけれど、けっして悲劇としては描かれていなくて、それなりに前向きな未来があるように感じられるラストシーンになっています。

ただ私的には、それでもなんだかちょっとどうなのかな?って引っ掛かるのは、二人で関係を終わりにしたからといって、二人が帰って行くのはあの双子の相部屋であり、二段ベッドであるわけで、直ぐに物質的な変化を達成できる訳ではないという点。

普通、同棲していた恋人同士がして別れた後も一緒に住み続けるのだって違和感ありありなのに、同棲じゃなくて、恋人同士ではない二人が、お互いを好きだという気持ちを抱えたままで、あの家でその日からまた寝食を共にするっていうのが、めちゃくちゃシュールだなって思うんですよね。

ちゃんと別れられんの、この子たち?って。

結局のところ、頼が精神的にも年齢的にももっと大人になって物理的な距離も取れるようにならないとなかなか難しいんじゃないかなぁ、と思います。一度一線を超えてしまってるから尚更ね。

…なーんて、終わった作品の登場人物のその後を色々と考えられるのは、それだけ作品中の人物が活き活きと描かれていたということです。いいことだ、うん。

いつもの如くなが~くなったので、一旦切ります。

続きはまた明日( ´ ▽ ` )ノ